ノーレタッチ原理主義者

ノーレタッチ原理主義者の精神的基盤となっている言葉に、「写真とは真を写すもの」というものがあります。


 ノーレタッチ原理主義の人(のうち幾らか)は、単に写真よりもカメラ趣味の人*1なんじゃないかなぁ、とか思うんですが、どんなモンでしょうか。 作品の出来上がりなんかよりもレンズの性能を評定する事にのみ血道をあげている人達は、そりゃレタッチとかしても仕方ないと思うんじゃないかなと。


 そんで私は、どちらかというとカメラ趣味なんで、そういう人(カメオタ的ノーレタッチ主義者)が居るのは理解できるんですが、そうじゃなくて「作品」として写真を撮るようなアートな人達の中に「ノーレタッチじゃなきゃ」という人はどのくらい居るのかな〜というのが、疑問というか、興味あるというか。アート的ノーレタッチ主義者はどれくらい居るのか?

写真は必ずしも真実を写さないし、真実は写真に写るとは限りません。

 ちょっとでも写真やっている人なら、これに気付かないということは無いでしょう。 私のような単なるカメオタでも撮影時の演出意図というモノを考えるわけですから、年中そればっかり考えてるアートの人達が「真実を写すんだからノーレタッチじゃなきゃ」とか思うものでしょうか?? それよりかは、単純にエフェクトをかけるにあったって、撮影前に済んでるのが好きか、撮影後にじっくり弄るのが好きか、というだけの話なのんじゃないかなぁ、とか。

 あー、でも「撮影姿勢すらアート」的な意味で「一発撮りじゃなきゃ」という信念がある、というのはアート的精神論としては、ありそうな気はするかも。


まとまりません。


ま、正直に言うと「ノーレタッチ原理主義者って、ほとんど全部カメオタなのでは?」というのが、私が最初に思った事でして。「真実を写す」とか、そんな高尚なこと考えてないんじゃないかなー、とか思って書き始めたのでした。


かくいう私は、昔はカメオタ的ノーレタッチ主義者でしたが、次第にそんな事どうでも良くなってきて、最近ネガをスキャンしてレタッチし倒す遊びを覚えたところです(笑) 

うわー

 exblog ってトラバがコメントより上につくのかぁ…。 お目汚しスイマセン(汗

*1:まぁ、カメオタですわな